どうもこんにちは。推敲の際に気を付けたい点の提案もこれで4タイトル目となりました。
今日は接続詞についてです。
もう4つ目まで付き合ってくれている方からすれば、ハイハイ接続詞ねって感じだと思います。
まずは接続詞がどんなものかをさっくりとお示しします。
■接続詞のお仕事
前の文との関係性を明確にするのが、接続詞のお仕事です。
その性質ゆえ、一部の接続詞は文末のあしらいが定型となっています。
若干不自然さはあるものの、例を挙げます。
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①順接
午後から雨が降る予報だと推しのお天気お兄さんが言った。だから傘を持って出た。
【午後から雨が降る予報だと推しのお天気お兄さんが言った。だから】
→ここまで読むと、傘を持ったことが想像できる。
②逆説
午後から雨が降る予報だと推しのお天気お兄さんが言った。けれども家を出るときには晴れていたのでうっかり傘を忘れた。
【午後から雨が降る予報だと推しのお天気お兄さんが言った。けれども】
→ここまで読むと、傘を持たなかったことが想像できる。
③並列
明日の午後から雨が降る見通しだと、夕方の天気予報で聞いた。さらに今朝、推しのお天気お兄さんが「傘をお忘れなく」と言っていた。
【明日の午後から雨が降る見通しだと、夕方の天気予報で聞いた。さらに】
→ここまで読むと、雨が降る予報をより確信できる情報の追加が想像できる。
④補足
推しのお天気お兄さんが「傘をお忘れなく」と言った。つまり今日のラッキーアイテムは傘だ。
【推しのお天気お兄さんが「傘をお忘れなく」と言った。つまり】
→ここまで読むと、傘を持つことの要約・主観の意見などであると想像できる。
⑤対比
推しのお天気お兄さんが「傘をお忘れなく」と言った。片や、スマニューの予報では降る予報になっていない。
【推しのお天気お兄さんが「傘をお忘れなく」と言った。片や、】
→ここまで読むと、反対の『雨が降らない』という情報だと想像できる。
⑥転換
推しのお天気お兄さんが週末はいい天気になると言った。ところがバケツをひっくり返したような雨が降り、窓さえ開けられない。
【推しのお天気お兄さんが週末はいい天気になると言った。ところが】
→ここまで読むと、予報が外れたのだと想像できる。
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接続詞を使用するメリットは、読むまえから内容を想像させる点であり、同時にそこがデメリットでもあります。
■接続詞があるときーないときー(5GO1)
時間系列に沿った謎解きや、情報開示シーン、根拠の解説などは、理路整然となることが望ましいところです。
文章を階段と例えた場合、一文は1段だと言い換えられます。
ですが接続詞を挟むことで1.5段のところに踏み台を置くことができ、つぎの文へのつながりがなめらかになります。
例文:接続詞ある版
水曜日に、安田から『土曜日に帰る』と連絡があった。『それなら駅まで迎えに行くよ、何時の電車?』と返信した。
だが回答はない。むしろ不精の彼が帰省すると知らせてきたことがめずらしいことだった。
土曜日の今日、僕はまるっと一日、予定を空けて、安田からの『迎えに来い』を待っていた。
――帰ってこないだろうな。だって安田だもん。
安田はその時々の気分で優先順位をころころ変える。
フットワークが軽いといえば、耳触りがいいが、あいつの場合八方美人すぎるのだ。
おまけに顔も稼ぎもよくて、約束にルーズな点を除けば、どこにいてもモテる。
だからたぶん今日も、仕事か女か、もしくは男か、だ。
チャットに、一方通行の吹き出しばかりが溜まっている。昼に送った『いまどこにいんの?』が虚しい。
『帰って来てもいいし、来なくてもいいよ。でも僕には知らせないでくれ』
僕はチャットルームを削除した。
例文:接続詞減量版
水曜日に、安田から『土曜日に帰る』と連絡があった。僕は『駅まで迎えに行くよ、何時の電車?』と返信した。
回答はない。不精の彼が帰省すると知らせてきたことがそもそもめずらしいのだ。
土曜日の今日、僕はまるっと一日、予定を空けて、安田からの『迎えに来い』を待っていた。
――帰ってこないだろうな。安田だもんなぁ。
安田はその時々の気分で優先順位をころころ変える。
フットワークが軽いといえば、耳触りがいいが、あいつの場合八方美人すぎるのだ。
顔も稼ぎもよくて、約束にルーズな点を除けば、どこにいてもモテる。今日も、仕事か女か、もしくは男か、だ。
チャットに、一方通行の吹き出しばかりが溜まっていた。昼に送った『いまどこにいんの?』が虚しい。
『帰って来てもいいし、来なくてもいいよ。金輪際僕には知らせないでくれ』
僕はチャットルームを削除した。
■接続詞との付き合い方を模索する。
ある版と減量版、どっちもまあぁ~明確に意味の間違いはないんですが、後者のほうが小説的であるように感じますね。
『安田の友達』が、上の短文を自分の頭のなかで、つらつらと思い浮かべているとします。
その場合、前後の文(発言・思考)のつながり方なんて、わざわざ考えいないはずです。
だれかに読ませる前提・だれかに伝えようとするからこそ、接続詞というツールが必要になるわけなんですね。
わたしは『正確に伝わる』ことが文章を書くときのミッションだと考えています。
ところが小説とは、かならずしも相性がいいとは言い難いミッションでもあるのです。
こういったグレーゾーンのさじ加減を模索することが、文体の個性につながる。
普段の小説で接続詞中毒になっていた点を反省し、今後に活かしたい所存です。
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