top of page

推敲の勘所③副詞のおしごと —ひらがな? 漢字?—



ひっ!また品詞の話かよ! ええ、すみませんね! 

わたし自身、さほど品詞について詳しいわけでもないのに取り出してしまって。

でもむつかしい話ではないので!! 

ちょっと下まで読んでもらったら、あ~副詞ってあいつらのことかぁ~って思っていただけると思います。


ア!まちがったことを言っていても気にしないでね!

ここはだれかのヒントになれば御の字のブログですが、

そもそもこんなことをしようと思った発端は、自分の脳みその整理のためでございます。

ひとに伝えるように書くと、自分の理解が深まるので、おすすめですよ~!



■副詞をさ~がそ!


小学校の校舎の移転が決まったあとも、ふたつの候補地のどちらに移転するかで地区は真っ二つに割れた。

ただっぴろい埋立地に建てるか、山を平らに削り、避難所を兼ねて建てるか。

おとなたちはまるで登校する当事者であるかのように半年も言い争っている。

ひとつのネタをネチネチ捏ねて、粘り気を見せあっているみたいだ。

今日の夜の会議でどちらに建てるか決まったとしても、完成には2年かかると父さんに聞いた。

そのころには僕は中学1年生。中学校のないこの地区とはおさらばだ。




①まるで ②ネチネチ 


副詞って、分類の境界線があいまいなものらしいので、探し方のヒントを載せようとしたんですが、う~ん副詞って、言語のくせに言語化が難し――――★



①ゆっくり歩く の ゆっくり

 ……主語にならず、それに続く動詞などの状態を説明している。


②ちょびっとだけ残っている の ちょびっと

 ……性質や状態の程度を説明している



③これってもしかしてキャビアじゃない? の もしか

 ……はちゃめちゃに説明がむずかしいのでgoo辞書のリンクを貼ります。

   こういうことを易しく説明できる人間になりてぇです。

 https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E5%89%AF%E8%A9%9E/#jn-191637



このほか、以下のことばも副詞にあたります。なんとなぁ~くイメージを持ってください。


こってり はるばる わりかし ぐつぐつ ながらく 

さっぱり とつとつ あくせく うっとり われながら わなわな


ぐつぐつってオノマトペじゃなかったことにびっくりだよ!



■副詞のバリエーションを増やせると、それはもう語彙力めっちゃつくのでは!?

THE マニアック『goo辞書の副詞コレクションurl』

https://dictionary.goo.ne.jp/jn/category/%E5%93%81%E8%A9%9E/%E5%89%AF%E8%A9%9E/




■副詞はひらがなにしたほうがいいかもしれないという主張


こんなことを書くと『嘆かわしい!』と言われてしまいそうですが

漢字ばっかりで読むのがしんどいから本を閉じた経験、結構あります。

でもべつに罪悪感はない。

合わなかったというだけの話であり、疲れるから読まないというのは、正当な判断です。


明治・大正・昭和初期の小説を読みづらいと感じる方、いらっしゃいます?

その原因のひとつは、漢字の含有量にあると考えます。


副詞の例:『拠って』『或いは』『如何に』『未だ』『及ばず乍ら』『直ぐ様』などなど

副助詞の例:『迄』『程』『頃』などなど


読めるけどかたい表現が続きます。

日常会話からして、漢字の視覚効果でなんだかカチコチ。

当時の人々が、ほんとうに形式ばった思考をしていたのかどうか、疑わしいところですが、

字面から得る印象で、世界観ごとかたくなってしまうことは、あると思います。



また見慣れない漢字は、読み飛ばされることが多く

『或いは』が、『~~いは』と頭の中で声に変わらず、意味を解されないまま読み進められる可能性があります。


漢字にするから意味が確実に伝わる、という見解ももちろんあります。

だから、表記は個々のスタイルとして育むところです。


しかしながら、『漢字の含有量』をネックに、読者が没入感を味わえず、離脱することも、忘れてはいけない事実なのです。



■一日に目にする文の量は爆発的に増えたけど……

前回ごろの記事で、わたしは美文よりも『読者が没入してくれるかどうか』に重きを置いている旨を書きました。

これは個人の意見ですが、自分のために書いているのは、たしかにそうなのだけど、同人誌にする・紙媒体にするというのは、やっぱり自分以外の第三者に、解釈や意見を発表するためであると考えています。


誰かに伝えたいと思ったら、同時に伝わりやすい表現を模索する必要も生まれます。


すこし話が変わります。

スマホが浸透したことで、90年代前半のころと現在を比較し、一日に目にする文の量は爆発的に増えました。いまや、読まれるための文章が溢れています。ニュースの記事、ブログの記事、たぶんどれも副詞はひらがながメイン。


それらの執筆者や運営会社も、『読みやすい文章』について試行錯誤し、現在風のルールを作り、保っている。彼らの内には、常に改変をつづける正解があるわけです。


そうして彼らの『読みやすい文章』に慣れたユーザーは、カチカチの文章をするすると読めるでしょうか?



■日本人の読解力は低いという研究結果があります。

『校閲を大事にしたい』の記事内でお話ししましたが、いい年したオジサン(お偉方)だって、ガタガタの文を書いている世の中です。

教育を通し、文を噛むための顎が育っていないので、今後10年くらいはこの状況が覆ることはないと感じています。

だから副詞をなるべくひらがなにして、読みやすさを優先するスタイルが『いま』のためにあるのです。


ちょっぴり不穏で壮大なまとめになりましたが、もしお近くの図書館にでかけられることがあったら、下記の本をパラパラ~と見てもらえると、結構やばいんだということをご理解いただけるかと思います。


エビデンス:AI vs. 教科書が読めない子どもたち 新井 紀子氏

https://www.amazon.co.jp/dp/B0791XCYQG/ref=cm_sw_r_tw_dp_17WFJFGCFAKWQNMX4MXX

(※アフィリエイトじゃないよ)



副詞についてはなんだか不完全燃焼なので、また改めて考えたいと思います!

ばいちゃ!


最新記事

すべて表示

『文章心得帖』を読みました

『文章心得帖』(ぶんしょうこころえちょう) 著者鶴見俊輔(つるみしゅんすけ) ※1980年4月刊行後、若干の訂正と削除を加えられ2013年ちくま学芸文庫から出版 注意)文章に向き合う不変的なところには共感を覚え、学びがあると考えますが、...

Comments


bottom of page